鎌倉芸術館

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特別インタビュー
激動の時代を歩んだ、前橋汀子
人生を語るヴァイオリン

今でこそ、日本人が留学したり国際的な活躍を目にするのは当たり前だが、それがまだ珍しく困難であった時代に、その道を切り拓いたヴァイオリニストがいた。前橋汀子、その人である。
2020年2月23日(日・祝)、2014年NHK交響楽団公演のソリストとして出演以来、6年ぶりに鎌倉芸術館に登場する。激動の時代を歩んだ日本のヴァイオリン界の先駆者に話を聞いた。
Photo:©篠山紀信


―― 1961年、世界は東西冷戦真っ只中の時代、17歳にして単身ソ連へ渡り、レニングラード音楽院で研鑽を積んだ。外国への渡航すら難しく厳しい世情の中、なぜあえてソ連だったのか?その源には、二人のロシア人との出会いがあった。

前橋 「5歳の時に小野アンナ先生に出会った事。先生はロシア貴族出身でレニングラード音楽院(当時はペテルブルク音楽院)で学ばれ、生物学の小野俊一さんと結婚、ロシア革命を逃れて日本に来られました。日本のヴァイオリン界の基礎を作られた方でした。そして、小学校5年の時に、日比谷公会堂で聴いた20世紀を代表するソ連のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの演奏。この2つの出会いで“絶対ソ連でヴァイオリンの勉強をしたい”と私の思いは強くなりました。」

―― 中学生になると、小澤征爾、堤剛、中村紘子、徳永二男など、日本の名だたる演奏家が輩出した名門「桐朋学園子供のための音楽教室」に通い、同時に、当時まだ勉強することさえ容易ではなかったロシア語も学び始めた。そして1961年夏。横浜港を出港し、船、汽車、飛行機を乗り継いでレニングラード(現・サンクトペテルブルク)へと向かった。到着したのは、横浜港を出てから1週間後のことだったという。ソ連に渡った時の気持ちはどのようなものだったのだろうか。

前橋 「1961年、17歳の私には当時の共産主義体制下でのソ連の日常生活を考えたり想像したりする事が出来ていませんでした。日本で学んだロシア語の言葉も十分でなかったし、親元を離れたのは初めてだったし、よく泣いて“テイコの涙で湖ができる”なんて音楽院の友人達から詩的なロシア人の表現でなぐさめられていました。でも、今思い返しても音楽院はもちろん、レニングラードで初めての日本人なのに差別されたり、特別扱いされたりしたことはありませんでした。体制下の日常生活では不足、不便の厳しい雰囲気もありましたが、音楽・オペラ・バレエと何よりもロシア芸術の黄金時代でした。その素晴らしい音楽教育を受けることができ、ロシア人の懐の深さを感じながら過ごし、語りつくせない思い出がいっぱいあります。」

―― 当時のロシアと言えば、先述のD.オイストラフ、前橋の恩師となるヴァイマンのほか、ムラヴィンスキー、リヒテル、ロストロポーヴィチ、はたまたストラヴィンスキー、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチなど、歴史的偉人とも言える演奏家や作曲家がきら星のごとく輝いていた時代だ。苦境にありながらも、巨匠たちと同じ空気を吸い、生きた芸術に触れられたことは、何ものにも代えがたいものであっただろう。元来の才能と努力の成果で、1967年には、かつて一度は破れたロン・ティボー国際コンクールで3位入賞を果たした。しかし、これに満足することなく、今度はソ連から一転、対極にあるアメリカ、ジュリアード音楽院に留学する。

前橋 「ソ連では、古典クラシックの曲はメインで学んでいました。アメリカではもっと幅広いジャンルの音楽を自由に学ぶ機会に恵まれると思いました。当時のソ連は、共産主義体制下でしたが、歴史と伝統に培われた技術や教養をもった人々が、のちに続く人たちに全身全霊をかけて指導していました。日常の不便不自由をその時の私は感じませんでした。でもアメリカに行ったことで自由や物質の豊かさの違い、人々の考え方の違いなどを初めて感じるようになりました。」

―― まったく異なる文化の中で、数々のオーディションやコンクールに挑み、ソ連時代とは違った角度から技術、感性、レパートリーを獲得していった。不屈の挑戦はさらに続く。さらなる高みを目指してスイスに渡り、シゲティ、ミルシテインら、名ヴァイオリニストの薫陶を受けた。スイスで過ごした10年のうちに、ストコフスキーの指揮によりニューヨーク・カーネギーホールで演奏会デビューを果たし、世界中で活発な演奏活動を行い、その地位を不動のものにしていった。
好奇心旺盛で努力家、ヴァイオリン一筋。2017年には演奏活動55周年を迎えた “ヴァイオリンの女王”にとって、ヴァイオリンとはどのような存在か。また、愛用の銘器についてたずねた。

前橋 「ヴァイオリンは私の生活の中に常にあり、当たり前のものとして存在しています。楽器は、1736年製のグァルネリウス・デル・ジェスです。2003年、長年に渡り楽器の調整をしてもらい相談にのってもらっているロンドンの楽器商チャールズ・ベアさんのところで出会いました。100年間使われる事なく貴族の館で眠っていて家族の遺産整理によって売りに出ました。誰にも使われていなかったので、若々しい状態のままで私の手元に来ました。16年間私が弾き続けてきて“私のヴァイオリン”になりました。」

―― コンサートにはマラソン並みの体力を要するという話もある。半世紀以上、第一線で活躍を続ける上で、健康や体力維持の秘訣はあるのだろうか?

前橋 「コンサートの開演が昼間の時、夜の時もありますのでそれに合わせた生活のリズムを心がけるようにしています。15年位前から不定期ですが、筋力トレーニングもしています。あとは日常の食生活を心がけており、特別格別というほどのことでもないですが・・・。」

―― 近年では、日本でもクラシック音楽を日常に、コンサートをもっと身近なものにとの思いから、気軽に楽しめるコンサートを全国各地で行い、絶大な支持を得ている。2020年2月、いよいよ鎌倉に登場する。そのプログラムには《愛の喜び》《タイスの瞑想曲》《ツィゴイネルワイゼン》など、名曲中の名曲が並ぶ。ピアノは、長年共演を続ける松本和将だ。

前橋 「鎌倉の皆様には、さまざまな時代、作曲家によって作曲されたヴァイオリンの名曲の数々を聴いていただきたいとプログラムを考えました。どの曲も私の好きなヴァイオリンならではの魅力がいっぱいつまった作品で楽しんでいただけると思います。また、ほとんどのヴァイオリン曲はピアノ伴奏なしでは音楽が成り立ちません。松本和将さんは私の呼吸を心得てくださって私にとって大変心強い得がたいピアニストです。」

―― コンサートといえば、華やかなドレスを見るのも楽しみのひとつ。ステージ衣装はどのように選んでいるのだろうか?

前橋 「季節感、コンサートホールの雰囲気やその時々で考えて選んでいます」

―― 鎌倉での姿も楽しみだ。最後に鎌倉公演に向けてメッセージをいただいた。

前橋 「久しぶりに新春の2020年2月23日に、鎌倉芸術館で演奏できますことを楽しみにしています。どうぞ皆様には午後のひとときをヴァイオリンの名曲の数々を聴いてお過ごしいただければ嬉しいです。」

ヴァイオリンが人生そのもの。女王が魅せる円熟の極致、珠玉の名曲とともに、果てしなく深い人生の物語を堪能したい。

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