東京楽所「雅楽の世界」~七夕に響く古の調べ
ごあいさつ「雅楽の世界」
「鎌倉と雅楽」には密接な関係があります。
1192年、源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開府と同時に京都楽人多家を鎌倉に招聘し、家臣たちにも雅楽を習得させ、鶴岡八幡宮にて神事演奏させた。その後、〜鎌倉から雅楽は奥州まで伝播した〜と、雅楽年表には記載されています。更に鎌倉時代には雅楽関係文書の多くが完成し、貴重な資料として現存されています。(教訓抄、続教訓抄、十訓抄、群書類従=管絃音義)
鎌倉芸術館での東京楽所雅楽公演、歴史的にも意義ある公演と位置付けております。
〜七夕に響く古の調べ〜解説を交えてお届けいたします。お楽しみ下さい。
野原耕二(音楽プロデューサー)
【第一部】管絃「管絃」では、雅楽で唯一の恋歌、七夕「朗詠 二星(ろうえい じせい)」、夏彦星と織姫星の想いを詠(うた)う朗詠を中心にお届けいたします。平安時代、先人たちはこの曲を聴き「七夕の夜空」を見上げていたのかも知れません。
壱越調音取(いちこつちょうねとり)「音取」は西洋音楽のチューニングのように聞こえますが、短い曲で会場を壱越調(雅楽の調子の一種)の音色で整え、「さあ、管絃が始まります」と云うプロローグ的意味合いを持っています。
賀殿急(かてんのきゅう)「賀殿」は古来より家屋新築の際に舞う慣わしがあります。「破」と「急」の二楽章形式のうち、管絃演奏「急」をお届けいたします。「破」の穏やかなゆったりとした拍子に比べて、「急」は軽快な拍子で変化に富んだ曲風です。
朗詠 二星(ろうえい じせい)朗詠とは、平安期、十世紀から十一世紀に漢詩に旋律を付けた声楽曲として確立され、盛んに創作された歌もので、一の句、二の句、三の句の形式で詠います。現在のイメージとは少し異なる、人間味豊かな織姫と彦星の詩にもご注目ください。
胡飲酒破(こんじゅのは)平城京、東大寺大仏開眼法要(752年)の音楽プロデューサーだった林邑(ベトナム)僧侶、仏哲(ぶってつ)が伝えたと言われる林邑楽(りんゆうがく)の一つで、東大寺大仏前で演奏された記録も残されています。平城京期の音色をご堪能ください。
【第二部】舞楽2021年の夏を前に、スポーツにちなんだ舞楽の「左舞・打球楽」と活発な動きで舞う勇壮な舞「右舞・納曽利」を選曲いたしました。
左舞「打球楽」(さまい たぎゅうらく)
唐装束で馬に乗り、木製の玉(球子きゅうし)を走らせる、平安時代の遊戯である打毯(たぎゅう)。スポーツ「ポロ」とルーツを同じくするこの打毯を貴族たちが打ち興じるさまを模した舞で、打毯道具をかたどった、細やかな工夫がされた舞具も見どころのひとつです。
右舞「納曽利」(うまい なそり)
活発な動きで舞う、勇壮な舞「走舞(はしりまい)」の一つ。別名「双竜の舞」とも言われ、雌雄の龍が遊び戯れるさまを舞にしたと言われています。九州から東北まで広く伝播し、『源氏物語』にも登場する人気の舞の一つです。